大社神社の周辺に鎮座する、
由緒ある社(やしろ)をご紹介します。
鎮守の社と天神
守公神社
鎮座地:豊川市国府町的場19
守公神社は、天平年間、藤原豊成卿が東海道鎮撫使であった頃、三河国の安泰を祈念し、三河国内の神々を奉斎したことに始まる神社です。
祭礼日は、毎年正月七日と定められています。
神社前に奉納されている青馬は、奈良時代に灰白色の青馬を走らせ、一年の安泰を祈念したことに由来します。平安時代以降は白馬が用いられるようになりましたが、表記は「白馬」と書き、読みは「あおうま」と伝えられています。
社宝には、応永二年奉納の大般若経六百巻および梵鐘があります。
梵鐘の銘文には「三河府中鎮守守公神」と刻まれており、当社が三河国総社としての役割を担っていたことを伝えています。
明治以降、大般若経は六十年ごとの甲辰年、旧暦一月七日に神前において祈祷会が行われています。
現在の祭礼は、四月第一日曜日およびその前日に斎行され、手筒花火の奉納も行われています。
秋葉神社
鎮座地:豊川市国府町岡本104
貞享二年(1685)、国府の市(四日・九日の六斎日)が始まった頃、東海道では伊勢参りや秋葉参りが盛んに行われていました。
これに伴い、国府村にも秋葉燈籠が設置され、秋葉大権現が祀られました。
明治の神仏判然令により、秋葉大権現は神名を火具土命(ほぐどのみこと)と改め、岡本山中に社殿が建立され、現在の秋葉神社となりました。
祭礼は当初、十月二十日に行われていましたが、昭和三十年代に四月二十日に改められ、さらに昭和六十年頃より、二十日に近い日曜日に斎行されるようになりました。
また、昭和六十年頃からは、相撲奉納に加え、手筒花火も奉納されるようになりました。
進雄神社
鎮座地:豊川市国府町寒若寺106
進雄神社は、元和十年(1624)、京都祇園感神院より牛頭天王、波利采女、御子神を勧請し、国府村寒若寺に天王社を建立したことに始まります。
明治の神仏判然令により、神名を『記紀神話』に基づく神名へ改め、牛頭天王を素盞嗚命(スサノオノミコト)、波利采女を櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)として、天王社から進雄神社(すさのおじんじゃ)と改称されました。
当社は、雨乞いおよび疫病除けの信仰を集めてきました。
国府祭の原型は、上町天王社から南田天王社へ神輿渡御を行い、雨乞いを祈願した祭礼に始まります。この祭りは、明治二年より大社神社の夏祭りへと形を変え、現在へと受け継されています。
祭礼は、七月第一日曜日に、相撲奉納、祇園提灯奉納、甘酒接待、餅投げ、手筒花火の奉納を行い、斎行されています。
国府天神
鎮座地:豊川市国府町流霞5
国府天神は、天保年間(1830年頃)、国府村中道の天神山高膳寺において、僧侶・亮屓が近隣の子どもたちを集め、寺子屋を開いたことに始まります。その際、守護神として菅原道真公の神像を奉斎しました。
明治の学制施行により、国府小学校の開校に伴って天神像は国府小学校内に祀られましたが、昭和二十年の終戦に際し、学校内に神仏を祀ることが禁止されたため、再び高膳寺境内へ遷座しました。
その後、国府天神奉賛会により、国府小学校児童の書道展示および顕彰が行われてきましたが、役員の高齢化に伴い、平成二十八年、大社神社奉賛会および大社神社がこれを引き継ぎ、大社神社境内へ遷座されました。現在も、国府小学校児童の書道展示・顕彰が継承されています。
御利益は、学力向上、合格祈願、身体健全、厄難消除です。